この間この「たわごと」にも載せた自分の大学時代のビデオですが、とにかくどういう事であれに出ることになったのか経緯が思い出せないでいました。最後のスタッフの名前の中に、「濱崎好冶」という人が一緒に小劇場のお芝居で共演したことのある人物だと思いだし、ネットで検索したら川崎市民ミュージアムの学芸員になっていることが分かり、さっそくメールで連絡をとったら自分の事も覚えていてくれていました。
濱崎さんは日芸卒業後に渋谷スタジオにあった「メディアワークショップ」という私塾の塾生になり、あのビデオの制作の時、出演者集めからロケ場所、渋谷スタジオのエレベーターのシーンでどれぐらい止めていられるかなどを調べたりしていたそうです。
濱崎さんは日芸卒業後に渋谷スタジオにあった「メディアワークショップ」という私塾の塾生になり、あのビデオの制作の時、出演者集めからロケ場所、渋谷スタジオのエレベーターのシーンでどれぐらい止めていられるかなどを調べたりしていたそうです。
なのでやっぱり彼の紹介であの作品にでることになったわけです。1984年から86年ぐらいらしい。あの作品の監督だった遠藤雅充さんは現在中京テレビでドラマの演出家をやっているそうです。
あのビデオをご覧になった生徒さんが「最後のスタッフの名前のところに是枝裕和って映画監督で有名な人ですかねえ?」と聞かれ、僕はその監督さんの事を存じてなかったので、その事も濱崎さんに伺ったら、まさしくそうらしいです。濱崎さんとは塾生で同期だったようで、是枝さんはあの作品でVE(ビデオエンジニア)をやっていたようです。つまり僕は演出を目指していた是枝さんの「メディアワークショップ」時代にも関わっていた事になるんですねえ。おおっ!
同じ時代に青春時代を過ごして何かを目指していた皆さん、今それぞれ活躍しているんだなあ。自分ももっと頑張らないとダメだ~。
あのビデオをご覧になった生徒さんが「最後のスタッフの名前のところに是枝裕和って映画監督で有名な人ですかねえ?」と聞かれ、僕はその監督さんの事を存じてなかったので、その事も濱崎さんに伺ったら、まさしくそうらしいです。濱崎さんとは塾生で同期だったようで、是枝さんはあの作品でVE(ビデオエンジニア)をやっていたようです。つまり僕は演出を目指していた是枝さんの「メディアワークショップ」時代にも関わっていた事になるんですねえ。おおっ!
同じ時代に青春時代を過ごして何かを目指していた皆さん、今それぞれ活躍しているんだなあ。自分ももっと頑張らないとダメだ~。